下諏訪宿
甲州街道の終点で、中山道との合流点である下諏訪宿は交通の要地で、難所である和田峠
と塩尻峠に挟まれていたこと、諏訪大社のお膝元であったこと、温泉が湧き出ていたことな どにより、
中山道最大規模の宿場で大変栄えていました。
■下諏訪宿の歴史
室町時代の中期には「湯之町」の名が見られ、 当時から秋宮の門前町・温泉町として集 落が発達していたようです。
武田信玄が治めていた頃、 佐久へ行くための宿場町としていたようで、
当時和田から春宮を通って長地へ続いていた中山道をわざわざ秋宮の方へ道を持ってきました。 江戸時代、街道の整備とともに町並も整い
(下諏訪宿は160 1~1602年頃)、中山道六九次の宿として位置づけられました。
町並は4町50間(530m)、甲州道中の分を合わせると8 町49間(960m)あり、立町・横町を中心に構成されていまし た。
宿内の旅籠は亨和元年(1801)の記録で42軒ありました。 宿の中心は問屋場で綿の湯の隣、その奥一帯が本陣でした。
中山道に69ある宿場のうち現存する本陣は数軒しか なく、
当時の子孫が実際に住んで管理・ 公開を しているの は下諏訪宿本陣だけで、当主は二十八代の岩波太佐エ門 尚宏氏です。